内側からの情熱なんて多分なかった
こんにちは。ゆるおんです。お久しぶりです。
今でこそこんな意識の低い音楽家やってますが、音大入りたての時はそれなりにやる気があったりしました。
やる気があったりしたんです。
私には大学時代大嫌いなやつがいました。
そいつがどんな人間だったかは割愛します(どんな奴だったとしても多分私の人生には関係ないので)
とにかくそいつの演奏も人間性も大嫌いだったので、私はこんな奴には負けたくないと思いました。
負けたくないというより、そいつの上を行きたいと思っていました。
認めたくない話ですが、実技の成績はそいつのほうがよくて、先輩受けもよかったので何か仕事があればそいつに回るっていう状態だったのです。
何とかそいつを上回りたくて、練習以外でもあまり気は進まなかった同期の友達等の演奏会に顔を出したりするなどしていました。
その場でたった一回あいさつしたくらいで交友関係を広めた気になっていました。
「よし、これであいつより知り合いが増えたぞ!」
「ここから学外での演奏の機会とか回ってくるかも」
なーんてことを考え心の中でマウントを取ることによって心の均衡を何とか保っていました。
今、なんて愚かな...と思いましたね?
まさに同じことをある時点で私も思いました。というより悟りました。
他人への憎しみを原動力に行動することのなんと愚かなことよ、と。
私はそいつと自分を比べるのをやめました。
先輩の目や成績等で比べられてる意識はありましたが、一番そいつと自分を比べてるのは紛れもなく自分でした。
結果、確かに心の安寧は訪れました。
しかし致命的な欠点に気が付きました。
何も行動する気になれないのです。
もともと大してうまくもない同期の演奏会なんて行きたくなかったし、先輩の演奏会も気を使うから嫌。仮に新たな知り合いができたとしても他人に興味がないので演奏会に誘ってくれないなら関係を保ちたいなんて一ミリも思わない...
クズじゃん...(言葉に気をつけなさい)
こんなに行動しなくなるなんて思ってもみませんでしたよ。
でも実際自分の性格趣向に照らし合わせて、自分の思うがままに生きたらこうなるのは必然でした。
当時は自覚がなく、ただただ苦しさから逃れたくて一切の交流を断ってしまいましたが。
こうなってくると最初に切って捨てた嫌いなやつにマウントを取りたいがために行動するほうがまだ社会性身についたのでは...?とさえ思えてきます。
まあそのまま育ってたとしたらとんでもないマウンティング女が爆誕するのでやめといてよかったとは思いますが。
どちらのほうがよりましだったんでしょうか。
いまだに答えが出せずにいます。